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東海地震域中央の海岸の砂浜のこと
私の実家は、東海地震の予想震源域の中央にある浜岡原発の近く。30キロ域に入っていると思う。

遠州灘に面した市で、実家から海岸まで、500メートル位。そんな環境で育ったから、良く海で遊んだ。ハタミ(朝鮮ハマグリらしい)狩りをしたり、観光客相手の地引網漁に混ざって取れたての刺身を頂いたりして。

遠州灘は、遠浅の砂浜が続いていて、遊ぶのに適していそうに見えるんだけど、その実、水の流れによって水面下に出来る瀬のおかげで、局所的な急流が発生するため、遊泳禁止にされている。子供だけで海岸で遊んでいると、たまに見回りに来たお巡りさんや先生に怒られる。

現在、私は35歳で、生まれる前の事は分からないが、生まれた当時、浜は延々と広がる砂浜で、砂防と呼ばれる海岸沿いに伸びる防風林兼防波堤から2〜300メートル歩かないと波打ち際にたどり着けなかった。夏場は、日に焼かれた砂が草履はもちろんのこと、靴を履いていても中に入ってきて熱いから、最初は砂が足に触れないように慎重に歩くものの、一旦砂が靴に入り始めると、まるで火が付いたかのように熱くて、猛ダッシュして水辺まで走ったものだ。

私が高校、大学と進学し、20年も経つと、広かった砂浜は徐々に狭まり、海岸線が砂防から100メートル位の近くまで押し寄せてきていた。

大人達が言うには、大きな川の河口付近に海に突き出た堤防が出来て砂が流れて来にくくなったからだと聞いた。これは中高校生のころの話。川から流れ出すの砂の流れをイメージしてみたが、当時としても、堤防が直接の原因とは思えなかった。砂って水に混ざって徐々に広がるし、1箇所に溜まっても風で運ばれるだろう。まぁ、脳内シミュレーションでの結果だが。

そして、最近、母から気になることを聞いた。

この間のゴールデンウイークに法事のため実家に帰ったときのこと、砂浜が狭まった話題を持ち上げた時の会話。

『俺が生まれた当時は砂浜がもっと広かったよね〜。なんか、かなり歩かないと波打ち際に着かなかったよね〜。』

『そうだね〜。狭くなったね〜。その当時の年寄りが、昔は波打ち際までもぉっと遠くて、砂浜がずーっと砂丘みたいに続いてたって良く言ってたから。』

それを聞いた時は、へ〜って、聞き流していたんだけど、よくよく考えると、、、

これって、プレートの沈み込みじゃね?

遠くまでなだらかに繋がる砂浜が、半世紀以上掛けて1メートル位沈下したと考えられなくもない。現に、海は遠浅だから数メートルの浮き沈みでかなりの面積が影響を受ける筈。

太平洋プレートに引かれて沈み込む方向にストレスを受けているとすると、東海地震が来たら実家の周囲の土地は、数メートル跳ね上がって、現状で低い気がする砂防でも津波の第1波は防げるかも。

そして、海の底から再び砂丘が現れるのかも知れない。

、、、と思った。
まぁ、何の根拠もないし、専門知識無いから、ただの戯言ではあるが。

地震も津波も来て欲しくないけど、津波の伝承が残っている土地だから、いつか来るのは間違いない。

命山と言う人口の丘が点在していて、その昔、津波の時にそこに登って生き長らえたそうだ。
ただ土を盛っただけの高さ3メートル位の盛土だし、この30年で裾が広がって、さらに低くなった気がする。

岩手の津波を目の当たりにしてしまうと、なんとも心細い。

ぜひ、津波の為の避難所を増強してほしい。
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by isoq | 2011-05-13 23:13 | 携帯からの投稿
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